らやりたいこと

贅沢って?
好きなだけ、自由に、好きなことに、お金を使うこと?
道楽のようなものか。

では、学問が大好きで、研究に没頭していて、書籍代やら、セミナー参加費やら、登録代やらに、
お金をがんがん使う人は、贅沢なのか?
洋服はあまり構わない、最低ライン。食事も最低ライン。住居も最低ライン。
でも、好きなことには、糸目をつけずにお金を使う、超・勉強家、勤勉家は、贅沢なのか?
たんなる変わり者か?

湯水のように使うことが、贅沢の定義だとしたら、
その研究家も湯水のように、Neo skin lab 騙時間とお金と労力、頭を使っている。
後に認められても、生きている間は、キ○ガイ扱いされている、天才アーティストや、建築家は?


・・・と、わたしの例えはいつも、ノーマル路線を越えている。
一般人の例えをしなければ、ふつうの人は、感情移入して考える気にならないだろう。

やはり、贅沢といえば、道楽。
着道楽、食道楽、かに道楽(あ、これは、店名だ・・・)
贅沢三昧につきものなのは、飲めや歌え、遊べの交遊費。
飲む、打つ、買う。
旦那衆の芸者遊び。銀座の高級クラブ通い・・・
一晩100万円×5×4=2000万円(一ヶ月)  
週休二日(土日は、家でのんびり、Pretty renew 旺角遊びをオフ)で遊びまくるとすると、
1年で、2億4000万円、10年で、24億円。
その前に、体を壊す。

愛人に使うと、ばばっとなくなる。
海外逃亡して、横領した莫大なおカネを使ってしまって、ガリガリになって捕まっていた人。
使うとなれば、一瞬。花火。


人にではなく、自分に使う。
豪華な家に住み、世界中の逸品に囲まれ、柏傲灣 贅沢極まる暮らしをし、
これでもか、と、目をむくようなキンピカな衣装を身に纏う。
しかし、これは、近隣の人々との調和を乱すとよくないので、そうとう高級住宅街に住むことが条件だ。
ランニング・コストが、高いので、ランニング・インカムも、かなりの額がないと、一生涯は維持しにくい。
途中で、家を売却して、高級老人ホームに身柄を移すという手もある。


あるいは、一点豪華主義。
家は、賃貸でもなんでもいいから、ふつうの家に住むとして、自分自身の美に執着する。
服飾品に、せっせせっせとお金を使う。
カラダの美を保つために、高級エステや美容関係の費用に、制限枠ゼロ、天井知らずで、
美容整形を繰り返し、ジム通いをしてボディを美しくキープする。
年齢には勝てない時期が来たら、その時、考える。


宝石などを買うとすると、体も壊さないし、身につけなければ他人にはわからないから、
贅沢三昧しても、ちっとも周囲には気付かれない。
本人が、うひひひと、毎晩、妖しく光り輝く宝石を愛でるという、そんな贅沢もあるかと。
維持費や、メンテナンス費、ゼロ。保管スペース、極小。
ただし、盗られないかと、ひとりヒヤヒヤも、疲れるかも。


超一級の人とお付き合いする。
師事するのも、世界的に有名な人だったり、どんなことがあっても、なにがなんでも、
あらゆるルート、コネ、手段を使って、お金に糸目をつけずに、お近づきになる。
追っかけをやる、タニマチ、桁違いの後援。
熱狂的に傾倒している人のために、カーネギーホール的なものを作ったり。
企業展開しているケースもありそうだ。


使える金額に制限があるとすると、使う金額を、制限枠に合わせる。
自分で、日頃はしないけれど、ちょっと贅沢かな、と思うようなことを、やってみる。
こころが、贅沢気分になる、擬似贅沢もありかと。

自分が作った、世界にひとつだけのオリジナル茶碗で、食事をするとか、
自分で糸を紡いで織り上げたものや、手作りで染めた生地で、手作りの洋服を楽しむとか、
手作り酵母パンだの、手作りの肥料で育てた有機野菜だの、
手作り旅行だの、手作りパソコンだの、手作り自動車だの手作り飛行機だの(このあたりは、規制があって無理)
なんでもいいから、好きなことに、好きなだけ時間をかけられるのも、贅沢だ。
なんにも、他のことは気にかけずに、好きなだけ読書するというのも、贅沢な時間。


贅沢に育った人は、慎ましやかに暮らす生活に不満を抱く。
贅沢に慣れきっている人は、贅沢が出来ないと、苦痛である。

お金では換えられない贅沢が、わたしの理想の贅沢だ。
こころの自由、時間の自由、こんな贅沢なものはない。
ただし、自由にできるお金がまったくないとすると、
その状態で無かを考え出すのは、やる気の問題がある。
活動費ゼロで、やる気が起こるかどうか?
手作りしにても、少なくとも材料費の実費ぐらいは、必要である。
レッスン料や、交通費も。
話がだんだん、現実味を帯びてきた。

ちなみに、
わたしがやりたいことは、自分では全部できないので、人の力を借りることになる。
マンパワー費用は、けっこう高くつく。
ざっと計算して、そんなに高くつくなら、人を雇わず自分でしよう、となり、
自分でするには、カラダや時間が足りない、となり、
次第に、縮小、やがては、やめてしまうことになりかねない。

やはり、贅沢とは・・・
資金を稼ぎ出す能力に伴うべきである、と考える。
どんちゃん騒ぎをするにしても、家業や仕事の面でもピーク、体力も気力もピーク、
贅沢をするにも、エネルギーがいるということだ。


「こころの贅沢」という別カテゴリーを自分で確立して、
悦に入るのが、自分仕様・贅沢で、
比較的イージーに手に入れやすい幸せである。
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